小5か小6ぐらいかな。
話は噛み合わんし、声も動きも大きいし、しょっちゅう歌ってるけどいつも同じちょっと古いやつな上に音痴だし、みたいな子がいたんよ。生まれ持った性格特性なんだろうけど、その時はそうな気がする、程度で、それがどう、とかは思ってなかった。むしろ、自分はこの子のことを知ってる、て知ったかぶってたぐらいだ。
色々、やっちゃったんだよね。「何とかしてあげなきゃ」みたいな、偉そうな変な気持ちで。
自分だってダンス習ってるわけでもないのに、なんでかダンス教えようとしたり。
見たことない形の帽子かぶってて、「変なの」「似合わないよ」て言ったり。
あと、刺されて腫れたことがあって苦手な毛虫に似てるって理由で苦手な猫じゃらしの穂を、揶揄って近づけたりもした、気がする。
酷いよな。
やった側は本当に覚えてないし、何が悪いのかわかってない。
わかってたらやってない、それが正しいと思ったからやった、てこともきっと少なくない。
というか、「何か違う気はするんだけど、何がどう違うのかわからない」「他の人よりマシ、むしろ自分はいいことをしてる」て思い込んでた、ような。
何なら、悪口をみんなで出しあって、紙にしたためたこともある。何なら他の人にもやったことあるからこれは前科2犯。その紙も探せば出てくるような気もする。さすがに本人には見せなかったとはいえ、でも、そういうことをしてもいい、て思ってた、てことなんだろうな。
で、こんなことをしといて、なんか急に思い出した、でブログを書いている。
その子は中学からは別の学校になって、連絡先だって持ってなくて、だから謝れずじまいなんだけど。
こういうのって、謝っても自己満足でしかない、でも謝らないのも違う、て考えてる。
相手がこっちをどう思ってたのか、どう思ってるのか、それを知る方法はない。
希望的観測も含めれば、忘れてるかもしれない。逆に、ものすごく恨んでるかもしれない。諦念とか失望とか以上には何も思っていないかもしれない。自分を攻撃してきた有象無象の中に入れてるのかもしれない。ただ単に、もう関わらないでほしい、て思ってるかもしれない。
こっちも、深く頭を下げることはできても、土下座できるほど素直じゃない。やったこと自体は土下座で済まないかもしれないのに。
きっと、加害者に完璧に償わせて、被害者の思った通りの結末にするのは不可能だ。起きた、された出来事は変わらない。被害者の傷は治らない。加害者もそう簡単には謝れないだろうし、まず何が悪かったのかわかってなかったら、償いも何もない。
私は、加害者は被害者には許されなくていいと思う。正当化するわけでもないけど、叩かれるのだって無理はないと思う。被害者も、加害者を無理してまで許す必要はないと思う。
だけど、外部の人間がいつまでも加害者を叩き続けるのも、やけに被害者を憐れむのも違うと思う。
これは自己満足かもしれないけれど、自己弁護ではない。私のことは、叩きたければ叩けばいい、とも思う。
加害者は何が悪かったのかわかってなくて、だから散々に言われても、例え刑務所に入れられても、自分が酷い目に遭ってることしかわからない、て場合もきっとある。
無知は罪だって言われたって、じゃあ何を知らないんだ、てなってしまう。責めればいい、ってモンでもない、て私は考えてる。加害者向けのカウンセリングだってあるみたいだし。
「確信犯」を辞書でひくと、
自己の信念に基づき正当な行為と信じて行う犯罪。〔特に、宗教的・政治的な義務感・使命感に基づくものを指す〕(引用:第七版 新明解国語辞典 三省堂)
て書いてあんの。
間違った前提をなおすのは骨が折れる、とも言う。これから知らなきゃいけないことが多いかもしれない。きっと、ものすごい時間がかかる。
そういう面では、時効制度って宜しくないんだろうな、て今思った。
色々とごちゃごちゃと書いたけど、元々、「いじめっ子だった時、何か違うのはわかってたけど、何が違うのかわかってなかった」てことを書きたかったんだ。
あと。この記事最後かつ最大の自己満足。
知った気になって、そっちがどう思ってるのかも考えないで、自分の考えを押し付けて、ごめんなさい。決してこっちが偉そうに言えたことじゃないけど、許さなくていいよ。ワガママだけれど、出来れば、もう忘れててほしいです。